富士に生き、富士に死す。富士山に人生をかけた1人の男の、魂の写真集

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一生モノの写真集との邂逅。出会いは突然に

私は20歳の頃、人生で最も孤独な時期を過ごしていました。
心のバランスを崩し、大学に通えなくなっていたのです。

軽い外出や短時間のアルバイトは何とかできていたのですが、どうしても学校には行けない…。
昼夜の逆転上等、部屋から出ない日は当たり前。そんな2年間を過ごしていました。

暗黒の時代…。もう2度と戻りたくない。

なんとかしなきゃと焦る。自分ではどうにもできない。
だからこそ、自分を根底から変えてくれる何かに出会いたい。そう渇望していた時期に出会った写真集です。

故・小林健一さんの「あたまを雲の上に出し」です。

私はどちらかというと活字が好きなので、写真集はほとんど読みません。

しかし、孤独な魂は引き寄せ合うのでしょうか。
あの頃唯一の外出先だった近所の図書館で、たまたま手に取った写真集が一生の出会いとなりました。

小林健一 「あたまを雲の上に出し」

どんな人物?

著者の小林氏は写真家になる前、全国を旅し、職を転々としていました。

しかし1988年頃、自分の道を写真に見出します。

1990年には本格的に富士山の写真撮影を開始。夏の間は山小屋で働き、それ以外の季節は大工仕事で生計を立てるライフスタイルを確立します。

著名な富士山の写真家である大山行男氏に師事し、撮影の腕を上げていきました。

ところが1996年5月、富士山での撮影後に滑落。34歳という若さで亡くなります

大山氏が、後書きで小林氏を偲び、回顧しています。

小林健一はよく言っていた。

「おれはどうも変な人間だから、普通の人達とはウマが合わないんだよなあ。だから人の住む街では何をやってもダメなんだ。」 彼は何度もぼやいた。

(中略)
彼は山頂ではいつもいきいきとしていられた。撮影にも究極的な集中力を発揮できた。
でも山を下りると、またクシュンとしてしまう。

人間を自然の一部ととらえるならば唯一、人間だけがむずかしい存在である。

大山氏の回想から、小林健一氏がとても繊細な方だったということが分かります。

今でこそ「内向的」、「HSP」、「ボッチ」、という言葉が市民権を得て、なかば肯定的にとらえられるようになりました。しかし、当時の小林氏は周囲から「変わり者」くらいに思われていのかもしれません。

自分もよく、「あいつは何考えてるかわからない」と、クラスメイトから言われたなぁ・・・

どうして自分は普通に周囲になじめないのか。いったい自分は何者なのか。
そのようなやり場のない気持ちが、挿入された日記にも記されています。

小林氏も自身は若き日の自分を回顧して、このような記述をしています。

中学生くらいのころから、窓の外ばかり見ている少年だった気がする。
いつもいつも、外ばかり。そこには果てしなく広がる空があった。

そのころから旅を続けるようになる。
いろいろな仕事を転々とし、冒険などにあこがれ、ずいぶんと歩いた気がする。

旅好きだったのですね。
1982年から1983年には、自転車で日本1周。1984年には南アルプスを縦走します。

すごい…。普通ではできないエネルギーですね…

孤独であるからこその反動。
どうしようもないくらいの魂の叫びが、身体を突き動かしたのでしょう

ただの写真集ではない。壮大な感情日記

富士山頂から雲や景色を撮るという、ユニークな視点で撮られた写真集です。

・凍てつく富士山頂の大鳥居
・空平線を真っ赤に染める夕日
・夜の富士山頂から映した関東平野のきらびやかな光

どの写真も、厳しい自然の中で撮影された写真ということが分かります。

生き物のように湧き上がる積乱雲。バックリと割れる雲海。

撮影者は果たして何を感じてシャッターを切ったのかーー。小林氏の想いが伝わってくる気がします。

しかし、写真の美しさだけにとどまりません。

この写真集は、36年という短い人生を鮮烈に駆け抜けた、1人の写真家の感情日記
前項でも触れたように、ところどころに著者の日記が挿入されています。

その表現が、無骨で、孤独で、優しく、悲しく、そして美しい
小林氏の言葉は、読み手の魂を揺さぶります。

前向きなヤツはいつも地平線を見つめている。
ここはどこなんだろう? ここはどこなんだろう?


前人未到、無敵の淋しさ。

どれほどの孤独を心のうちに抱えていたのでしょう。
この独特なレトリックは、少し荒っぽく、まっすぐ、そして繊細に、読者の心に迫ってきます

何かいよいよ、いよいよである。
いくつも、いくつもの積雲が続く。

こんなことを伝えたいだけなのに、
どうして。

こんなことを伝えたいだけなのに、
どうしてうまく言えないのか。


いくつもいくつもうねり、
上がってこようとする。
でも、ここには来られない。

本当に毎日生きることに緊張していた…。
私と似た人がこの世に生きていたことが、生きる励みになりました。

考えたんじゃダメなんだ。
自然に自然に生まれて来るんだ。

ブルース・リー氏の映画でも、似た言葉がありましたね。Don’t think. Feel. (考えるな、ただ感じろ)と。
当時、悩みすぎて頭がパンクしそうな私に、気づきを与えてくれた言葉です。

神さまがただシナリオを書いていく。
自分はただ、それを追いかけていくだけ。

ハッ! とする表現じゃないですか? 

人生は自分で決定しているような気持ちになるけど、実際はそうじゃない。
大きな力が見えないところで働いていて、シナリオを描いてくれている。自分はそれに従って生きている、いや生かされているだけなんだ、と。

富士に生き、富士に死すーー。
この写真集は、36年という短い人生を鮮烈に駆け抜けた、1人の写真家の感情日記

人生は、生きた長さだけで測られるのではないことがわかります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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