振り返りたくもないが、2年間の大学不登校を経て得たものを考える

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不登校のきっかけは、あがり症

私は、とんでもないあがり症。

高校の授業中に先生からここを読んで、と指されると、

声が震え、脇や手のひらから大粒の汗がポタポタとしたたり落ちる。

女子生徒と話すと、

すぐに顔が真っ赤になる。

そんな生徒だった。

不安神経症。パーソナル障害。

精神科で症状名を求めれば、きっとそういう診断がくだされただろう。

これが私が大学不登校に至る、ベースの症状だった。

大学不登校のきっかけ

高校であがり症がひどくなり、勉強に全く身が入らなくなった私は、理数系の授業に着いていけなくなった。

だから、高校2年生で文系に変えた。

それまでの勉強の蓄積で何とかできたのが、英語と現代文だったから。

そして大学受験でギリギリ引っかかったのが、中堅私大の外語学科だったのだ。

あがり症の私が、よりによって外語学科・・・。

1クラス30人超の生徒の中に、男は6人。8割が女性だったのだ。

さて、大学に通い始めてあがり症が治ったかというと・・・。

そんなわけはない!

むしろますます症状は酷くなっていった。

Conversationと呼ばれる会話の授業では、だれかれ構わず英語で会話しなければならない。

相手の顔すらうまく見られない。

毎日ポタポタ汗をかき、赤面する日々が続いた。

そんな自分を、同級生はさげすんだ目で見ているんじゃないかーー。

そんな妄想に襲われる毎日。

何とか1年目を終えたが、2年目の夏休み以降は、朝起きられなくなり、学校に行けなくなった。

思えば高校生の途中までは、勉強すれば評価はついてきた。

「お前、また1番だって? すごいな」

そう言われれば、束の間の優越感に浸ることができた。

その言語報酬と優越感を求めてまた勉強する。私はそういう人間だった。

スポーツも、勉強も、人より秀でるために努力する。

それが正解だと思っていたし、むしろそれしかないと思っていた。

でも、大学は違う。全然違う。今までの思考・行動パターンでは通用しない。

  • サークル活動を楽しみながら、講義は要領よくこなし、首尾よく単位を取る。
  • 代返(代わりに返事)をして講義に出たことにする(今でもあるのだろうか?)
  • レポートは前年度単位を取った先輩に見せてもらい、最小限の労力で優良な成績を取る。

むしろそういう要領のいい人こそ、大企業からの内定を取ったりしていた。

私は「人より優れているか劣っているか」が評価軸の、偏った価値観を持ったまま、

場違いな大学に来てしまったのだ。

早晩、学校に行けなくなるなと自分でも感づいていた。

不登校の私を救ってくれた2つのもの

アルバイトと遊びが、私を救ってくれた。

内装のアルバイトが私を救った

不登校期間が2年目に突入し、私は内装のアルバイトを始めた。

近所に内装の仕事をしている自営業のおじさんがいて、若い労働力を探していた。

学校にも行かず外にも出ない私は、うってつけだった(幸い、体力は落ちていなかった)。

引きこもり続けていた私を心配してくれた、という面もあったと思う。

当然、私は下っ端だった。

清掃、車から現場までの道具の運搬、お茶買いなど。

THE・労働力だった。

でも、そんなことは気にならない。

身体を動かすのは楽しかった。

教室でかいていた緊張の汗ではなく、運動による良い汗をたくさんかき、

わき目もふらず仕事に集中できたのは、私にとって救いだった。

おまけにお金ももらえる。

「生きている」とすら感じられた。

ある日そのことを父に行ったら、「フリーターのざれごと」と一蹴されたけど(笑)。

遊びが私を救ってくれた

もう1つ。遊びが私を救ってくれた。

バイク、ビリヤード、サーフィン。いろいろやった。

バイクに乗りたくて、不登校の数カ月前に中型免許を取得。

いろんなところに出かけて、行動範囲が広くなった。

真夏でも真冬でも、1日中走っていても苦にならない。

1人で夜の高速道路を走ったり、片道200km以上の工程を下道だけで走ったりした。

友人とのツーリングも楽しかった。

ビリヤードもだいぶやり込んだ。

大学の友だちが、「おい、ビリやろーぜ!」と、引きこもっている私をたまに誘ってくれるのだ。

「なんでお前は大学に来ないの?」 とか、「家にいて何してるんだ?」とか、そいつは聞かない。

私のことを察しているから、深くは聞かない。

ただひたすら、9ボールをやり続ける。12時間ぶっ続けでやったこともあった。

本当にナイスな奴だった。

その友だちの週1、2回のビリヤードは、私を世界と繋がてくれるかけがえのない時間だった。

最後は、サーフィン。

前述の内装の親方がサーフィンをやっていて、私にも勧めてくれたのだ。

全然うまくならなかったけど、初めてボードの上に立てた時は、涙が出るくらい嬉しかった。

暖かな海水に身を浸し、手と足の指先から毒素が抜けていく感じが、何よりも好きだった。

これは甘ったれた考えかもしれないが、私は自分を癒やしたかったのだと思う。

思考の袋小路でがんじがらめになっていた自分に、

遊びを通じて、ものごとには違う見方だってあるんだよと、示したかったのだ。

不登校期間は闇の中だったけど、遊びを通じて、少しだけ光が差した気がした。

復学したきっかけ

花火。

復学したきっかけは、花火。

ある初冬の日。内装のアルバイトが終わり、親方と一緒に車で帰路に着いていた時のこと。

キンと冷えた遠くの冬空に、花火が見えた。

親方はハンドルを握り、私は助手席にいて、それを見ていた。

「あ、あれ! 自分が行ってた大学の花火です」

とっさにそんなことを言ったのだと思う。

母校の文化祭では、フィナーレに中庭から花火を上げるのが習わしだった。

それが、帰り道の車の中から、たまたま見えたのだ。

しばらく沈黙していた親方が、こう言った。

「おまえさ・・・大学戻った方がいいよ」

ハッとした。

痛いところを突かれた。避けていた言葉を言われた。

そんな感じだった。

同時に、腹落ちする言葉でもあった。

身体を動かすアルバイトは楽しいが、いつまでもこうしているわけにはいかないーー。

自分でも、そんなことは分かっていたのだ。

でも、一生懸命アルバイトに励むことで、直面すべきことから逃げていた。

それに、当たり前だけど、休学してたってお金はかかる。

大学に対して、少なくとも施設利用料は支払わなければならない。

大学へ行かない息子のために、半年ごとに大学の施設利用料だけを振り込みに行く母。

どんな気持ちで銀行に向かい、振り込みの手配をしてくれていたのかーー。

私は、大学へ戻ることにした。

たまたま見た文化祭の花火が、私を大学に呼び戻した。

人生って、不思議なきっかけで動くものだと思う。

手に入れたもの・気づいたこと

大学に戻っても、私のあがり症は消えなかった。

相変わらずConversationの講義で女生徒と話すと、私はひどく赤面し、汗をかいた。

所属のゼミで発表(プレゼン)するとなれば、1ヶ月も前から緊張による腹痛に苦しんだ。

それでも、私は大学に行き続けた。

私の中で、何が変わったのか?

私が手に入れた(と思う)1番大きなものは、目的思考。

自分でいうのもなんだけれど、一度ドロップアウトした者が大学に戻るのは、並大抵のことではない。

不安、恐怖はいやというほどある。でも、私の頭にあったのは、もっと強い、ただ1つの思い。

今度こそ大学を卒業するんだという強い目的

そのために、私は必死に大学に通い続けた。

卒業した後の就職のことなんて、まったく考えてなかった。

1年生の時。私の成績表が C (劣)、D(超劣)、E(不合格)ばかりなのを見て、

悲しげに俯いていた母を何度も思い出した。

だから、復学後はほとんどA(優)を取った。

アルバイトはせず、自分で奨学金をもらう手配をし、遅れを取り戻すように勉強した。

それが最低限自分のやることだと思っていた。

そんな激変した私を見た母は、驚きながらも喜んだ。

私もそれが嬉しかった。

2年間は大変だったが、得たものは大きい。

私は以下のことを学んだ。

  • 不安、恐怖などの感情は置いておく。大事なことは、目的を達成すること
  • 他者は、自分が思っているような敵ではない。敵は自分の心が勝手に作り出したもの
  • 楽しむこと。遊びを採り入れ、逃げ場を作ること。成否で測れない価値観を自分の中に持つこと

後半の2年間で何人かの友だちもできたし、良い恩師にも巡り合えた。

特にネイティブの英語の先生は、言語の習得プロセスにジャグリング(お手玉)を採り入れる変わった人で、

学びの中にも遊び心って大事なんだと、気づきをくれた。

私は不登校の2年間、親に迷惑をかけた。たくさん反抗もした。

悲しませて申し訳ないと、いまでも思う。

また、最初の2年間で仲良くしてくれた友だち(入学同期)たちも、

喜んで私を仲間に入れてくれようとしたはずだ。

でも、拒んだのは私。距離を置いたのは私だったと、今ならわかる。

でも、その分手に入れたものがあった。

いまそれは、人生においてかけがえのないもの。

辛かったら、休めばいい。自分を追い込んじゃいけない。

何度だってやり直せる。不登校くらいで人生は終わらない。

あがり症の人は、自分の一挙手一投足に目がいってしまうから、視野が狭くなりがちだ。

これを「認知の歪み」というらしい。

そんなあがり症の人たちが、その視点をちょっと違う方向へそらしたり、

自分を許すことができたとしたら、それはすごいことなんじゃないか。

こんな私みたいなあがり症歴 30年選手でも、社会の隅でなんとか生きている。

いまだってあがり症はある。プレゼン、発表のたびに困ることは事実。

でも、なんとかこなせている。

それは大学不登校の2年間で、ちょっと違う視点を得られたおかげだと思っている。

それを教えてくれたのは、

内装の親方であり、

ジャグリングのネイティブの先生であり、

ビリヤードに誘ってくれた親友でもある。

人生には「ここ」というところで、人生を変えてくれる不思議な出会いや出来事がある。

私にとって、親方と見た花火もそうだ。

それを当たり前ととらえるか、神さまが与えてくれた機会ととらえるかーー。

どうかあなたが、

あなたの心を喜ばせてくれる「何か」や、

あなたの人生を変えてくれる「誰か」に、

気づき、出会えますように。

どうか。

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